自転車で出かけようとしたら、
空がいきなり真っ暗になり、遠雷。
この雨が通りすぎてから出かけることにし、少し時間ができたので、
つれづれを。
これまでどちらかと言えば、走り続けた私の行き方だったけれど、
今年は少しゆっくり歩いている。
半年ほど経って、とても面白いことが起き始めた。
もう20~30年くらい音信不通でとても気になっていた人たちからFacebookを通してメッセージが入ってくるようになった。国内から、海外から。誰かわかる? と言うメッセージ付の今の写真はもうその頃の友達の原型をとどめては居ないのだけれど、懐かしい優しい微笑みですぐにわかる。
私の人生観を大きく変えた事の一つ。初めての海外がNYの短期留学。
丁度湾岸戦争が勃発し、マンハッタンはざわざわしている頃だった。
私はそれまで働いて貯めたお金を持って、ニューヨークに飛んだ。
ロングアイランドにあるニューヨーク州立大学ストーニーブルック校に4ヶ月、その後、お金が続く限り残ろうとマンハッタンの安いレジデンスに暮らした。
帰国してから、
ロングアイランドの大学寮で起きたことをベースに、日本人、韓国人、在日韓国人の思いと摩擦と悲しみを恋愛仕立てにして書いた短編小説を実家のある広島の地方新聞社に応募したら、佳作だった。龍の文鎮はその賞品(笑)ロングアイランドアイスティは、紅茶を1滴も使わずに紅茶ぽい味のするウオッカベースのカクテル。もちろん発祥の地は、ニューヨークのロングアイランド。紅茶を使わないのに、紅茶の味のするそのカクテルは、なんだか当時の私たちのようでこのタイトルを付けたのだけれど。
読み返してみると、なかなか面白い。もう25年も経っているので、文字が消えかかっている。まだ読めるうちに打ち直して、データ保存をしなくてはもったいない。
その小説は、私たちはまた会えるのだろうか、という一文で終わっている。
あんなに日本なんか大嫌いだ!と言っていたのに。探してくれた喜びでいっぱいになる。
子供を育てること、自分の仕事に必死に走り続けた25年間が終わりかけている。きっと皆そうなのかもしれない。だからほっと落ち着いて、昔を顧みる時間が出来たときに思い出してくれたのかもしれない。嬉しい。
おそらくは、今年のうちに皆に会えるかもしれない。
ワインを一緒に飲もうと約束した。
どんな25年だったか、話しは尽きないのだろう。
私たちは25年経って、ロングアイランドアイスティには紅茶が1滴も入っていないことがわかる大人になれているかしら。
何はともあれ、私は1990年ビンテージのワインを一つ探しておこう。
何を一緒に飲もうかしら。
次の25年は、私の最終ステージかもしれないので、大事に、後悔なく、思うように、自分らしく、生きなきゃ。